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小烏神社の由緒

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元禄四年(1691)の神社取調調書によれば、「小烏大明神は広島の同社を勧請す」とあるが、寺社由来書には、「マリフ浦厳島大明神社内に五烏(からす)と申す小社御座候処に、厳島末社と申伝に御座候」とあり、また、別には、祭神を武津身命として、 「八咫烏は神代の神にて、賀茂建津見命と申す也。文武天皇の大宝二年(702)に至り大和国宇陀郡に始めて鎮祭す。それより二百余年後、醍醐天皇の延喜元年(901)この松原に勧請す。日本にて二社なり」とあって、由緒も社号もさだかでない。明治初期に、社号を小烏社と改め、祭神を建津見命、八咫烏命の二柱とした。
 明治四十一年(1908)四月七日、現在地に遷座された。それまでは、華浦小学校の校庭にあったといわれている。

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